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HOME > 「キャリア教育支援プログラム」ご案内 > 宮古島・石垣島の子ども達と本土のこどもたちとの交換留学 >2007「偉人から学んだこと」作文コンクール優秀作品集

今回は小学4年生から中学2年生までの生徒を対象に、伝記などを通して「先人・偉人から学んだこと」について作文を書いていただきました。応募総数も4900部と多くの方のご応募いただきまして誠にありがとうございました。


 

【優秀賞】


♪小5 石川 友季世さん(大阪府堺市) 「『勉強する事』の大切さ」♪
私は、福沢諭吉さんの伝記を読んで、「勉強はとても大切だ」ということを学びました。
私は、じゅくに来るまでは、勉強がキライでした。みんなそうだと思います。でも、「何でこうなるんやろ〜?」とか、「なるほど〜。」と思うと楽しくなります。テストで百点をとると、とてもうれしいです!福沢諭吉さんも、小さいころは勉強が大キライだったらしいです。でも、大きくなるほど、やっぱり勉強は大切だと見直すようになったそうです。
私のしょう来のゆめは、学校の先生になる事です。4年生のときから、ずーっと学校の先生になりたいなぁと思っていました。なぜかと言うと、今私たちが習っていることを、先生になって、わかりやすく伝えたいからです。それに、しんどそうなこともあるけど、楽しそうだからです。そのためには、たくさん勉強して、いい高校に入りたいです。それでとてもいい、学校の先生になりたいなぁと思います。福沢諭吉さんのように落ち着いていて、優しく、時にはきびしく、かしこい先生になりたいです。でも、私は算数が勉強の中で一番苦手です。なので、これから、たっくさ〜ん勉強して、いろんなことを学びながら成長していきたいと思います。しょう来にむけて、これからも勉強など、せいいっぱいがんばるぞぉ〜!


♪小6 井堀 真緒くん(大阪府泉大津市) 「野口英世から学んだこと」♪
  今回、野口英世の本を読んでみようと思った理由は、ぼくも、しょう来はじゅう医になりたいと思っていたので、ちょうどいい機会なので読むことにしました。
  野口英世は、福島県の貧ぼうな農家に生まれ、おさないころは清作という名前でした。2才の時にいろりに落ちて、左手を大やけどしたけど医者が近所にいないし、手あてをする薬もありませんでした。親指は手首に、中指は手の平にくっついて、他の指も先の方はなくなってしまいました。そのため「手んぼう」と言う、あだ名を付けられて、いじめを受けました。お母さんは、とても百しょうなどの力仕事はできないと思ったので、学問を身に付けて「うんっと」勉強するように、はげましてくれました。お母さんの協力があって、りっぱなお医者さんになりました。
  ぼくは、いつでも勉強できるのに、学校の宿題がある時や、じゅくの宿題のある時しか、がんばって勉強していなかったような気がします。
  本当は、遊ぶことが大好きやけど、野口英世のように、みんなからほめられると、勉強する気持ちがわいてくるので、もう少し自分から進んで勉強に取りくんでいきたいと思います。
  5年生になった時、じゅくの先生に、しょう来の夢は何ですか?と聞かれた時に、最初は何もなかったけど、それではダメだと思い、前から大好きだった「犬」のことを勉強するため、図書館に行って、犬の本を10冊借りて来ました。10冊読むと「犬」の種類、性格、しつけ方、病気の種類など、いろいろな事があるのがわかりました。その努力があって、親から犬を飼うことを許してもらって、とてもうれしかったです。すごくむずかしいと思うけど、「やっぱりぼくは、じゅう医になりたい」と思います。
  努力と根性と勉強は大切だという事が、野口英世の本を読んでわかりました。


♪小6 横田 将之くん(大阪府富田林市) 「ライト兄弟を読んで」♪
  ぼくは、ライト兄弟を読みました。
  ライト兄弟の本名は、ウィルバー・ライトと、オービル・ライトです。兄のウィルバーは1867〜1912年、弟のオービルは1871〜1948年に生きていて、世界で初めて動力飛行機を発明しました。それまでは、グライダーなどで風力を使って斜面をすべり下りて飛んでいましたが、ライト兄弟はエンジンの力で飛ぶことに成功しました。でもライト兄弟は、飛行機を造るまでにとても苦労したそうです。例えば後ろの翼を動くようにしていなかったため、コントロールできずに墜落したこともありました。浮き上がる時に、失敗したこともありました。さらにウィルバーは、中学の時大けがをして、心臓病にかかりました。またオービルも、兄の体を心配して仕事をやりすぎたため、チフスにかかってしまいました。でも、病気にかかった時も墜落した時も、妹のはげましによってなんとか立ちなおって、がんばって飛行機を造りました。
  ぼくがこの本を読んで感じたことは、何事もすぐにあきらめずに努力するということです。ぼくたちは旅行に行く時、飛行機に乗ります。もしライト兄弟が途中で飛行機を造るのをあきらめていたら、とても不便になっていたかもしれません。そう思うと、改めてライト兄弟はすごい人だなと思いました。
  ぼくの将来の夢は、パイロットになることか、航空会社で飛行機の設計をする人になることです。そうなるには、いろいろ勉強しなければなりません。途中でくじけそうになっても、ライト兄弟のようにあきらめずに努力して、最後までがんばりたいと思います。


♪小6 近藤 唯さん(大阪府豊中市) 「心から美しい偉人とは」♪
  私は偉人から学んだことは、たくさんありますが、その中からいくつかを書きたいと思います。まずは、「自分の考えをちゃんと持つこと」です。それを私はナイチンゲールから教えてもらいました。ナイチンゲールは、看護婦になりたかったけど、親に反対されて夢をなかなか、かなえられない。だから、たくさん勉強をして年をとっても夢をあきめず、30さいでやっと夢がかないました。私は、女優かキャビンアテンダント(客室乗務員)になりたいと思っているので、もしまわりから、すごい反対をされても、自分の考えをちゃんと持って、自分で行動できるようになりたいです。
  次に学んだことは、「どんなに苦しくても希望をすてないこと」です。これは、アンネリース=マリー=フランク(アンネ=フランク)から学びました。アンネ=フランクが、4さいのころドイツでユダヤ人弾圧がはじまり、ユダヤ人の財産などがうばわれ、最後には、大量虐殺をおこないました。アンネ一家は、かくれ家に引っこして、その間アンネは、「キティ」と名づけた日記を書きました。でも幸せは長く続かず、2年後にはドイツの秘みつけいさつに見つかって、強制収容所行きになり、翌年にアンネはチフスで亡くなった。キティの日記は楽しいできごとも書かれていた所から、どんなに苦しくても希望を捨てなかったんだなぁと思った。アンネのように苦しくなっても希望は捨てちゃいけないと感じました。
  他にも偉人から学んだことはたくさんあります。ひとつのことをやりぬく大切さを教えてくれた、ファーブルや愛と優しさを教えてくれたマザーテレサなど他にもあります。私は、この人達のように名を残せる、ステキな大人になりたいと思います。


♪小6 中村 友香さん(兵庫県宝塚市) 「マザーテレサと私と犬」♪
  私は1年生の時から学校で、マザーテレサの事を教わってきました。しかし、深くは知りませんでした。だから私は、この機会にマザーテレサについて作文を書く事にしました。
  マザーテレサは、数々の活動を通じて、何百人もの人に心の安らぎをあたえ、命を救われました。私は、このやさしくて思いやりがあって、人のためにつくす事のできる、マザーテレサの行動に強く心を打たれました。しかし、だからといって、マザーテレサの様な行動は私にはできません。なので私は、身近な事から始めようと思いました。
  昨日、私が家に帰ると、丁度犬がいました。その犬は、首輪は付けていましたが、1匹でトボトボと歩いていました。迷子のようです。その時私は、この犬を必ず飼い主の所にもどしてあげようと、決心しました。そして私は、一生けん命飼い主をさがしました。1時間ほどたった時、やっと飼い主が見つかりました。その犬は笑顔で、飼い主の元へかけてゆきました。その様子を見て、私も笑顔になり、心が温かくなった気がしました。1匹の犬ですが、助ける事ができて、本当に良かったです。少しでもマザーテレサに近づく事ができたと思うと、とても嬉しくなりました。
  私の将来の夢は獣医なので、今私は、学校ではウサギやモルモットなどの飼育を担当している飼育部の部長をしています。「まず、実行にうつしましょう。」と、マザーテレサのお言葉にあったように、私は色々と企画をして、お弁当の時間や休みの時間などを使って、できるだけ企画した事を実行するようにしています。少しでも、みんなが動物を好きになってもらえるように、日々努力しています。マザーテレサが多くの人々を助けたように、私も多くの動物達の命を助けたいです。私は、やさしさ、思いやり、人につくす事、何事にも挑戦するという4つのことを学びました。これからも、今回学んだことを忘れずに、日々の生活の中に生かす事ができたらいいなあと思いました。


♪小6 森岡 千晴さん(和歌山県和歌山市) 「ナイチンゲールの伝記から学んだ事」♪
  ナイチンゲールの本を読もうと思ったのには、2つの理由があります。1つ目は、私のお母さんが看護師だからです。2つ目は、名前は聞いたことはあるけれど、何をした人なのか知らないので、もっとよく知りたいと思ったからです。
  私が、ナイチンゲールの本を読んで学んだことは、ナイチンゲールのように、人の役に立てる大人になりたいということです。
  ナイチンゲールは、看護師になりたいといった時、両親や姉に反対されました。それでも彼女はあきらめませんでした。みんなに反対されても人の役に立ちたいと思い、がんばるところがすごいなぁと思いました。それともう一つすごいと思ったところがあります。ナイチンゲールは傷ついた兵士の看病をするために、24時間のうち、23時間働いて、自分の時間は1時間ほどだったことです。自分の寝る時間をけずってでも看病したことで、戦死した兵士がずいぶん減ったことを知ってびっくりしました。
  ナイチンゲールには、一生わすれられない先生があります。その先生が言った言葉に、私は一番感動しました。その言葉は、「人間は、世の中の役に立つような人にならなければいけません。人には、こころから親切にしましょうね。どんな小さなことでも、まじめにしましょうね。」という言葉です。その言葉を読んだ時、こんな大人になりたいなと思いました。
  私は、しょう来看護師になろうとは思いませんが、保育士になって子どもの世話をしたいと思います。だからそのために、がんばって勉強をして、人の役に立って、人からありがとうと言われる大人になりたいです。


♪中1 田中 大樹くん(大阪府堺市) 「ナイチンゲールとぼくの夢」♪
  ぼくの夢は獣医になることです。
  その理由の一つに、ある人の言葉や行動を動物にもしてあげたいという思いがあります。
  その人とは、みなさんもよく知っているナイチンゲール。ぼくは、この人の伝記を読んで、ナイチンゲールがいかに素晴らしく、いかに強い人だったかを知りました。
  ナイチンゲールは、お金持ちの家の子だったのですが、小さい時から自分よりまわりのまずしい人達を考え、大人になっても病気など、傷ついた人々につくしました。
  どうしてナイチンゲールは金持ちの子なのに、当時たてものはうすぐらく、いやなにおいがする病院へ行こうとし、みよりのないおばあさんや、他の仕事につけない人達がしかたなくなるような看護師になろうとしたのでしょうか。
  ナイチンゲールが若いころ、パリへ旅行に行ったとき、彼女は楽しい毎日を過ごしていました。しかし、世の中にはまだ、まずしくて気の毒な人がたくさんいるのに、自分ばかり楽しんでいいのかと悔やみます。
  ぼくは、この言葉が心に残りました。当時はまずしい人や戦争、治せない病気などがたくさんありましたが、現在そういった物はあまり見ません。でも、世界には新しい問題が発生しています。地球温暖化、環境破壊、いろいろな環境に対する問題、すべて人間が起こした問題なのに、人間ばかりこんなに楽しんでいいのでしょうか。だからぼくは、傷ついた動物を助ける獣医になりたいと思ったのです。
  ナイチンゲールがしたことも、自分は動物にしたいと思い、獣医になりたいと思いました。


♪中1 福島 光くん(大阪府東大阪市) 「父から学んだ事」♪
  「ゴゴゴゴー…」エンジンをうならしながら、飛行機が滑走路を飛びたってゆく…。
  ぼくは、その姿を見るたびに将来、パイロットになりたいと思うのです。
  なぜなら、世界中を飛び回るりりしい姿のパイロットをテレビで見たからです。その人は、こう言いました。「好きな事を仕事にするという事は、とてもすばらしい事です。」と。
  しかし、そう簡単には好きな仕事には就けません。
  そう感じたのは、ぼくのお父さんの今までの苦労を聞いたからです。
  ぼくのお父さんは、小さいころから車が好きで、将来車の仕事に就く夢を持っていました。
  車は、何万点とある部品と複雑な構造から成り、人の命を乗せて走るモノなので、一つたりとも整備を怠ることはできません。
  だから、車の知識を全て知っておかなければいけませんでした。
  当時、父は寮で暮らしていましたが、寮の部屋の電気は10時で切られてしまうため、ろうかのあかりで夜おそくまで、勉強していました。
  また、様々な資格を取らなければならず、なかには、非常に難しい試験なども含まれており、何度もあきらめそうになったことがあるそうです。
  それを聞いた時、ぼくは「好き」と「仕事」をいっしょにするのは難しいことだと思いました。
  しかし、父はそのころのがんばりがあるからこそ、夢をかなえることができ、お客様の笑顔を見て充実した毎日をおくることができているのだと、ぼくに教えてくれました。
  きっとテレビに出演していたあのパイロットも努力したのだと思います。
  だからぼくも、社会に貢献できる人間を目指し、何事にも一生懸命に取り組み、夢に向かって走り続けたいと思います。


♪中1 櫻木 晴日さん(大阪府堺市) 「ナイチンゲールから学んだこと」♪
  今、世界には数え切れないほど多くの仕事があります。なぜ、何のために「仕事」というものがあるのか、そして、一つ一つの仕事のもつ意味、役割とはどういうものなのか、数々の偉人と呼ばれる人達の功績を元に考えてみました。
  その中で、私の好きなナイチンゲールは、自分の自由を犠牲にして、戦場で傷ついた兵士や、病気の貧しい人達を救いました。命がけで陸軍病院で看護にあたりましたが、医者達からは、当時、金持ちの娘が汚らしい職業とされていた看護婦になるなんてありえなかったので、冷たくされ、思い通りに仕事ができませんでした。けれど、ナイチンゲールは、一人でも多くの命を救おうと、懸命に自分ができる精一杯のことをしました。戦争が終わり、イギリスに戻ってからは、90才で亡くなるまで、赤十字社をつくるための寄付を集めたり、貧しい人達のために働き続けました。
  私の将来の夢は、小学校の教師です。ナイチンゲールとでは、看護婦と教師という事で直接関係ないように思われますが、常にやさしく、思いやりの気持ちを忘れずに、人の役に立ちたいという願いは同じだと思います。「仕事」をするのはやはり、「生活するため」だと考えられますが、私は、人の役に立つために仕事をしたいと思います。
  これから多くの知識・常識を学び、ナイチンゲールのように、子どもにいつも笑顔で、そして、やさしい気持ちで接してあげ、いけないことをしたらしかり、いいことをしたらほめてあげ、常に誠実な教師になりたいです。子ども達が毎日、学校へ行くのが楽しくなるようなクラスをつくり上げていきたいです。


♪中1 村田 実美子さん(大阪府和泉市) 「『ガリレオ・ガリレイ』を読んで」♪
  私は、ガリレオ・ガリレイの、宗教裁判で迫害されながらも研究を続けた意志の強さに感動しました。『運動について』という科学と想像がいりまじった本を書き上げた時、ガリレオは「ときどき私は、自分自身の大原則をやぶって、思いつきを実際に実験して、たしかめないことがあった。」と自分自身を批判しています。ガリレオは、決して頑固なのではなく、実験で証明して確信の持てる事実だけを主張しました。意志が強く、自分に厳しくなれるガリレオは素晴らしい人だと思いました。
  ガリレオ・ガリレイの本を読んで、私が小学校で児童会役員をしていた頃のあることを思い出しました。私は担任の先生に「空き缶のプルタブをたくさん集めると、車イスをもらうことができるよ。」と教えてもらったことがありました。私の小学校は人数が多いので、プルタブを集め始めれば、すぐに集まるだろうと思いました。そこで、児童会の担当の先生にプルタブを集めたいと提案してみました。すると先生は「集めたプルタブを引き取ってくれないかもしれないからだめ。」とあっさり否定しました。私の小学校の人数の多さを生かしたいいアイデアだと思っていたのでショックを受けました。そして、先生に反対されてしまったから実現はできないと思い、私はそこであきらめてしまいました。今は引き取ってくれるところを少し自分で調べてみたらよかったと後悔しています。あの時、調べていたら実現できなかったとしても、後味は悪くなかったと思います。自分の意志もガリレオのように強くなりたいと思いました。
  将来、私は小学校の先生になりたいので、自分が教える子供たちに意志を貫くことの大切さを教えてあげたいです。そのために、自分でやると決めたことは、最後までやりとげ、人に流されないようになって、自分がそういうことを伝えられる人間になりたいです。

 

 

【佳作】


♪小4 栃岡 海美さん(大阪府泉佐野市) 「ナイチンゲールを読んで!」♪
  人につくす喜びこそ生きる喜びと本の中にあり、しょうげきだった。私は、将来看護師になろうと思っていた。理由は、私のおばさんが看護師だからだ。きれいで、やさしくて、私がカゼをひいている時など、いつも気にかけてもらっているからです。でも、私の考えていた看護師と、フローレンスの看護の仕事では、違いすぎました。私の思った看護は家族のための看護であり、自分の国の人々、世界の人々を救うといったものではないとわかりました。
  フローレンスのように、姉妹で勉強の教えてもらい方がちがったりする事も、今の時代では、考えられない事の一つだと思う。国のちがいかな?と思ったけれど、日本では、勉強をいつでも出来るし、私の時代では戦争もない。(ひいおじいちゃんの時代らしい)フローレンスと私とではちがいすぎる。
  フローレンスが看護の仕事に、ほこりというものを持ち、イギリスの国だけではなく、世界の人に愛と勇気をあたえた事は、すごい事すぎて、私の考えていた看護の仕事は、ただのあこがれにすぎなかったと、思い知らされました。
  そこで、私の将来なってみたい仕事は、何にかわったかというと、看護師さんから、薬剤師さんになりました。薬剤師さんなら、お医者さんが決めた薬を調合して、患者さんにわたすという仕事なので、命の重みが自分の手の中にある職業とは、ちがうと考えたからです。命という重みがすごく大事だと、フローレンスに教えてもらったからです。でも、医療にこだわるのは、フローレンスが自分の事もかえりみず、強い信念のもとに看護の改革のため働いたということと、フローレンス自身に強いあこがれを抱いたからです。この本を読んですごくよかった。


♪小4 田中 ゆいさん(大阪府大阪市) 「ナイチンゲールを読んで」♪
  わたしは、このナイチンゲールを読む前から薬ざいしになろうと思っていました。でも、この本を読んでかんごふになりたいという気持ちもでてきました。それは、ナイチンゲールが優しくて天使のような人で、私もそんな大人になりたいと思ったからです。22さいの時、ナイチンゲールがリチャードという友人にかんごふになりたいと言うと、とてもおどろいていて、私はなんでおどろくのだろうと思いました。かんごふという仕事は、とても大切な仕事だと思ったからです。そのわけは昔のかんごふは、他の仕事がつけないような人達がつく仕事とされていたからで、昔は病人の世話をするのはきたなく、はずかしいことだとされていたのだと知り、ものすごくびっくりしました。今のかんごふさんは、えがおで優しい人ばかりだからです。今、私は右足のほねにひびが入っています。ギブスをした後に、かんごふさんが松葉づえを調整してくれたのですが、その時も、私を知っている子どものように、明るく話してくれました。昔のかんごふは、病人のめんどうを見る事は、めったになく、酒ばかり飲んでいるような人が多かったと知って、信じられないと思いました。そんなかんごふのイメージを、よくして人にほこれる仕事に変えたナイチンゲールに拍手を送りたいです。私は、ナイチンゲールからいろいろな事を教わりました。人に優しくする親切な心、何でもすぐにあきらめない心、病院をきれいにする事や、いろいろなせつびをよくしようとする考えなどです。今のナースコールを考えたのも、かんごふのせい服を作ったのもナイチンゲールです。私も何か人の役に立つ事を考えて物を作りたいです。それがずっとずっと使われたら、すごくうれしいと思います。本を読んで思ったのですが、ナイチンゲールは本当に心から優しい人で、病気やけがだけでなく、ナイチンゲールをいじめていた悪い人の心まで治すことができて、すごい事だと思い、私の心もあたたかくなりました。


♪小5 井上 七海さん(大阪府貝塚市) 「保育士・小松ゆりから学んだこと」♪
  私は、赤ちゃん、子供が好きなので、保育士の小松ゆりさんの伝記を選びました。ゆりが32才の時、さきちゃんという目の見えない女の子を担当していました。さきちゃんの保育で一番辛かったことは、なにを思っているのか、気持ちがわからないことです。やがて、ゆりは、いやに疲労感につきまとわれるようになりました。健康診断を受けてみると、「問題あり」という結果が出てしまいました。それでもゆりは、さきちゃんの保育を続けました。ある日、さきちゃんの目は、ぼんやり光を感じられるようになっていたのです。
  私は、ただ、子供を育てたり、遊んだりするだけが、保育士の職業だと思っていました。だけど、そうではありませんでした。ゆりは、自分が病気になりながらも、命がけでさきちゃんを育てている所が最も印象に残りました。小さい子供を育てることは、いかに大変なことかを思い知らされました。一生けんめい大事に育てていると、きせきをよぶこともあるんだなーと感じました。ゆりには、さきちゃんの見ようとする気持ちを高める能力があるような気がしました。だから、視力がまったくなかったさきちゃんでも、ぼんやりと見えるようになったのではないかと思いました。保育士という職業は、人間のすばらしさと出会えるとてもいい仕事なんだと実感しました。
  今回、この本で、いろいろと学ばしてもらいました。自分がどんな病気でも、子供を育てたりできる保育士になりたいです。将来に向けて、私は、今いる妹、ペットにやさしくしてあげようと思います。大人になって、保育士になったら、子供たちに好かれ、小さいありのような子供たちを、大きなぞうみたいに育てあげ、やさしい人にしてあげようと思います。小松ゆりさんに一歩でも近づけるようにがんばります。


♪小5 橋 春香さん(大阪府大阪市) 「アンネに教えられたこと」♪
  1933年、ヒトラーが首相になり、ユダヤ人迫害が始まりました。同じ人間なのに、なぜ人はユダヤ人を差別したのか。そして殺したのか。私は、とても不思議に思います。そして、悲しく思います。
  「アンネの日記」で有名なアンネ・フランク以外にも、たくさんのユダヤ人が殺されています。その人たちは、いくら生きようと思っても、時には絶望したこともあるはずです。
  でも、その中で生きる希望を持ち続け、日記や童話を書いたアンネはすごいと思います。今、いじめなどで自殺をする人がいますが、自殺というのは、生きようと必死になっている人に、とても失礼だと思います。私は、この先どんな辛いことがあっても、アンネのように、堂々と生きていこうと思います。
  また、アンネはいくつかの童話も書いていて、本になっていたので読んでみました。
どれも引きこまれてしまうような作品で、想像力を働かせた物語など、いろいろな作品がありました。かくれ家の中で、アンネがどんな想像をしていたのか、少しだけわかったような気がします。
  私の夢は作家なので、せいいっぱい明るく生きて、生きることのすばらしさを教えてくれたアンネのように、私も文章で生きること、生きることができるすばらしさを、いろいろな人に伝えたいです。
  アンネが教えてくれたこと。生きるということのすばらしさは、一生忘れてはいけないことだと思います。だから、次は私が世界の子供たちに、生きるということがどんなにすばらしいことか、伝えていきたいです。そのために、英語を勉強して、将来小説のほんやくもしたいと思います。
  将来、絶対に作家になりたいと、改めて思いました。


♪小5 水田 百香さん(岡山県岡山市) 「ジョン・エフ・ケネディーに学んだ事」♪
  ケネディーは、世界の人々を幸せにしたかった。黒人も白人もみんな平等にしたいと思っていた。それに、戦争をやめるように言った。私も戦争をしても残るのは悲しみと憎しみだけが残る、そんな事をしても意味はない。
  それが、強く心に残りました。
  私は将来宝塚に入団したいと思っている。でも、それは簡単な事ではない。ケネディーのように今まで努力してきた者が選ばれる。
  もし、私が宝塚に入団したら、観客の人全員を喜ばせたい。感動させたいと思った。
  私は前に宝塚を見た事がある。その時に、舞台に立てば、みんなに夢や希望を与えられるんだ!すごい!と感じた。
  ケネディーが言ったように人間は同じ惑星に住んでいる。悲しい時は泣いて、楽しい時はおもいっきり笑えばいいそうケネディーが言っているようにも思えた。
  私たち子供は、未来をきり開く。だから、しっかりやっていかなければならないという事を学んだ。
  私は、伝記というのは目標に向かって努力している人々の事を書いていると思った。今はまだ、将来の夢を決めていないという人もぜひ伝記を読んでこういう事がしたいとか見つけてほしいと思う。なぜなら、絶対に目標を決めておけば、自分自身がそれなりにがんばれると思うからです。ちなみに、私は習い事から目標を決めました。だから、今は楽しんでやっています。気持ちが笑顔になっていきます。ケネディーもきっとやっていた仕事は好きだったのかなあと思っています。そして、今は目標としてやっている事を、私なりにがんばってやっていると、将来の夢がかなうかもしれません。

 水田さんからのコメント
  「受賞ができてうれしかったです。これからもいろんなことを挑戦したいと思います。」


♪小6 今西 智香さん(大阪府八尾市) 「将来の夢」♪
  2ヶ月ぐらい前まで、私の将来の夢は、キャビンアテンダントでした。理由は、キャビンアテンダントになれば、いろんな所に行けるからです。夢は、飛行機でインドネシアのバリ島に行くことです。だから私は、キャビンアテンダントになろうと思っていました。
  でも、私の将来の夢は変わりました。そのきっかけは、ある人物の本を読んだからです。その人物は、マザー・テレサです。彼女は、インドの貧しい人々に生きる勇気を与えた人でもあり、当時、治せるのに、多くの人々がごかいしていた病気のごかいをといた人です。彼女の伝記を読んで一番心に残った言葉は「自分をそまつな人間と思うな。だって、あなたは神様に祝福されて生まれてきたのだから。だから、絶対に自分をそまつな人間だと思うな。」という言葉です。私はすごくこの言葉に感動しました。友達とケンカした時は、必ずこの言葉を読んで、自分を勇気づけます。そして私は、この言葉に支えてもらいました。
  私は、夢を実現させるために、かんごしになるための勉強をがんばってしたいです。もし夢が実現したら、一人一人の命を大事にして、できる限り全力をつくして、くいのないようにがんばりたいです。私がかんごしになって一番したいことは、マザー・テレサのように「死にたい。」と思っている人には、生きる勇気をあたえて、私の心に残ったあの言葉を言いたいです。そして、笑顔になっていってほしいです。笑顔は伝せんします。
  私は今、マザー・テレサに「ありがとう。」と言いたいです。でも残念ながら、1997年9月5日に心臓発作でなくなってしまいました。
  私は、あまり健康ではないので、かんごしになるのは、大変だと思うけど、将来の夢に向かってがんばりたいです。


♪小6 姥 ちひろさん(大阪府和泉市) 「私の夢」♪
  私の夢はいつでも人を救う医者になりたいです。思いやりがあって、だれにでも優しい心をもつ人になりたいと思っています。でも優しいだけの心をもつだけではいけないと言うことを、この本を読んでわかりました。それは努力する心です。
  こころざしあるところに道あり。という言葉が野口英世の伝記に出てきました。このことわざの意味は、やる気になって努力すれば、道は見つかるんだなぁと思いました。私はこれを読んで何でも適当にするんじゃなくて、なんでも努力していこうと思いました。
  忍耐はにがい、けれどもその実はあまい。野口英世がのこした言葉です。しんぼうづよく努力することは苦しいけれど、それが実った時ほどうれしいことはないという意味です。苦しいかべを乗り越えたらきっと、とっても良いことがあるということなのでしょうか?
  私はこの野口英世の言葉を信じて、これからも努力し続けようと思いました。
  野口英世は、小さいころに左手に大やけどしました。そして、学校に行くと、みんなからいじめられたそうです。野口英世は学校に行くといじめられるので、しばらく学校には行ってなかったそうです。お母さんは、英世が学校に行ってなかった理由を聞くと、「つらいと思ったら、勉強でみかえしてやりなさい。」と言ったそうです。野口英世は、このことを言われて人一倍努力して、人一倍勉強したから、世界に名を広めるようになったのかぁと思いました。
  正直は最善の方策だ。という意味は、何事につけても、正直に生きていく事こそが一番であるという事です。確かに正直に生きていくことが一番だと思いました。
  私の夢は医者です。医者になるためには、努力する心、優しい心、正直な心。これから、いろんな心が増えると思うけど、目標にむかって努力してがんばっていきたいと思います。


♪中2 荒谷 蕗乃さん(大阪府柏原市) 「手塚治虫さんと私」♪
  私は、手塚治虫がとてもすごい人物だと思います。小さい頃から、マンガ家という夢を持ち、その夢に向かってノートにマンガを書いたりして、手塚治虫さんは自分のことをちゃんと理解して、自分が持っている能力をちゃんと出せていると思います。私も手塚治虫さんとは違う幼稚園の先生になりたいという夢があります。そのためには、今何ができるかと考えて、ピアノを習い始めました。手塚治虫さんのように、もとから持っている能力などはないけれど、がんばっています。手塚治虫さんは、医者になるかマンガ家になるかまよっていたそうです。手塚治虫さんはマンガ家になりましたが、医者という仕事をとても人の役に立つ仕事です。だって、苦しんでいる人を救うことができるからです。だからこそ手塚治虫さんは悩んだと思います。そこで、お母さんという存在があったからこそ、マンガ家になり、こんなすばらしい結果を残して亡くなっていけたのだと思います。手塚治虫さんはマンガ家という仕事をとても愛していたということが分かります。亡くなる前に悦子さんに言った最後の言葉でそれが分かります。それは「となりにいって仕事をさせてくれ。」だそうです。もう、自分が亡くなってしまうという時に、仕事のことを考えているということは、すごいことだと思います。私もそんなふうに仕事にほこりを持し、仕事を愛せるようになって働きたいです。手塚治虫さんはマンガ家になったことに対して父親にも感謝しています。私がまだ幼稚園だったころ、大好きな先生がいました。その先生は、とても優しく幼稚園の先生という仕事が大好きだと言っていました。私は、その先生のおかげで、幼稚園の先生になりたいという夢をもちました。私は、その先生にめぐり会えたことを、とても幸せに思っています。将来は、私のあこがれている先生のように幼稚園の先生という仕事に就き、手塚治虫さんのように仕事を愛せる大人になりたいと思っています。


♪中2 大澤 希さん(岡山県岡山市) 「偉人・夏目漱石」♪
  私の将来の夢は、小説家になることです。ただ書くことなら一人でも出来るかもしれません。でも、たくさんの人とかかわってこそ、いろんな視点から物事を見ることが出来るようになって、作品の幅も広がるんじゃないかと思います。私が偉人から学んだことは、「人とのかかわり」です。それを教えてくれたのは、故・夏目漱石です。
  夏目漱石は、幼少時から多くの人とかかわってきました。漱石は五男だったため、「よけい者」扱いされ、生まれてすぐに里子に出されています。そして里子がだめになると今度は一歳の時に塩原昌之助の養子にされました。しかも、幼い漱石は塩原夫婦が自分の両親だと思い込んでいた頃もあります。生家に戻った後も父には冷たくされます。とても辛かったと思います。けど、これも漱石の小説に生かされています。そして、そうした中、正岡子規と出会います。二人共が寄席好きということで親しくなり、漱石という名も子規からもらったようなもので、漱石が俳句を作る様になったのも子規の影響です。この子規との出会いで始めた俳句ものちに、漱石が書く小説で生かされています。
  私は、漱石は14歳の頃から文学をやってみたいと思っていたのに、デビュー作を出したのが37歳なのはもったいないなと思います。これを書いた後は、次々と作品を書いていますが、その間、教師をしても上手くいかずに、自分がなんのために生まれてきたのか考えて、神経衰弱におちいったときもあったと書かれています。私はそんなに悩むまで…って思うけど、こんなに悩んだからこそ、今でも読み続けられるすばらしい作品が生まれたんじゃないかと思います。そして、多くの人とのかかわりが漱石の作品を作り上げたのだと思います。私もなるべく多くの人とかかわり、ふれ合って、それを自分の書く作品に生かせたらいいと思います。

 大澤さんからのコメント
  「受賞できてうれしかったです。漱石の想いが皆に伝わったらいいと思います。」


♪中2 岡田 咲也香さん(大阪府岸和田市) 「ガンジーから学んだ私の目標」♪
  私はガンジーの本を読みました。この本を選んだ理由は、「インドを独立にみちびき、非暴力によって世界を変えた人」という見出しに引きつけられたからです。
  私がこの本を読んで学んだことは、たくさんあります。特に私の心が動かされた部分は三つあります。まず1つは、ガンジーの偉大さ、素晴らしさです。こんなにたくさんの人から愛され、尊敬される人はなかなかいないと思います。2つ目は、人に愛を持って接していくことの大切さです。3つ目は、誠実に生きていくことの大切さです。私はこの3つが頭の中に浮かんだ瞬間に、ガンジーが私の生き方の目標になりました。ガンジーの優しさ、心の強さ、心の広さが私の目標です。そして「私もこんな人になりたい。全く同じでなくても、必ずガンジーの生き方に近づいてみせるぞ!」と決意しました。
  私は将来、国際連合で働きたいと思っています。夢を叶えたいと思っているなかで、この本と出会えて、本当によかったと思っています。ガンジーに出会えて本当によかったです。
  将来の夢なんて、これから先、コロコロ変わっていくと思います。でも、この本を読んで決意したことを絶対に忘れないようにしてがんばっていこうと思います。
  大人になるまで後7年…この7年という年月で、自分自身がどれだけ立派な人に成長できているか楽しみです。途中、くじけて負けてしまいそうになる時もあると思います。そんな時は、ガンジーの生き方を思い出してがんばります。
  未来の私へ、がんばれていますか?あなたの目標を忘れていませんか?


 


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